みなさんこんにちは。
アクアライフWEB編集部です。
本日は、連載「アクアの雑談」の第2回。
雑談いたしますのは、前回に引き続き月刊アクアライフ前編集長の山口 正吾(やまぐち しょうご)と、アクアライフWEB編集部の板近 代(いたちか しろ)です。
今回のテーマは「癒やし」なのですが…………ふたりとも、なにやら頭を悩ませている様子。
それでは今回も、アクアの雑談どうぞお楽しみください!
ついこのあいだまで月刊アクアライフの編集長をやっていました。退任の際にはたくさんの労いのお言葉をいただきました(プレゼントもいただきました)。ありがとうございました。
今回は、「自分と向き合えた雑談」だったような気がします。人と話すことで自分が見えるって、とてもすごいことですね。
悩む……「癒やしとはなんだ?」
山口:今回のテーマは「癒やし」ですね。
板近:そうですね。
山口:難解ですよね、正直。
板近:癒やしにもいろいろありますもんね。
山口:そもそも癒やしってなんでしょう? 知っていますか、定義を。
板近:確かに……言われてみると、定義をわかっていない気がしますね…………。
山口:私もあわててウィキペディアを見たりしたのですが、なんだかよくわからず。そういうわけで相変わらずイメージ先行でお話することになりますが。
板近:アクアリウムって、癒やしという言葉が似合う存在ではありますよね、よく言われてもいますし。
山口:板近さんは、癒やしにどんなイメージをお持ちですか?
板近:なんか……気が楽になるみたいな。ちょっと漠然としていて申し訳ないのですが。
山口:いえいえ。申し訳なくありません。
板近:ありがとうございます(笑)。ふと思ったのですが、アクアリウムのメンテナンスを気合い入れてやっている時――フィルターの掃除とかですね、そういう「集中」しているときも、ある種雑念がなくて癒やされる時間なのかと思いました。
山口:……なるほど。私が癒やしと聞いて思い浮かべたのはイヌですね、ワンちゃん。
板近:あー、可愛いですもんね。
山口:イヌと触れ合っていると、心の傷みたいなものが修復される。それだけではなく、ポジティブなエネルギーをもらえる気がします。
板近:まさに癒やしですね。
山口:それが私の体験として、一番「癒やされている」と実感するときです。アクアリウムはちょっと違うんですよね。気分が落ち着くという感じではあるけれど、「よしやるぞ!」という元気が湧いてくることはないんです。
板近:アクアリウムの場合だと、フィルター掃除前とかに「よしやるぞ!」とはなりますが、それは癒やされて……とは違いますもんね。いざ作業開始すると、さっきお話した雑念のない時間に入れるのですが。
山口:……板近さんは、作業が癒しにつながるみたいですね。没頭できる時間というか。
板近:没頭は、結果として癒やしになっている気がしますね。やっている時は、一生懸命で疲れたりもするのですが。私は結構、もやもやといろいろ考え込んでしまうタイプなので、そういう時間が必要なのかもしれません。
山口:料理を楽しむ人もそんなことを言いますよね。何かに集中することで気分転換になるようで。私の場合は日曜大工がそうかもしれない。けれど、それって「一般的な」癒しとは違う気もします。板近さん独自というか(笑)。
板近:確かにちょっと、一般的な癒やしとは違う気がしますね(笑)。癒やしらしい癒やしというと、結構好きなのが、上部式フィルターからの落水ですね。水中に泡が落ち込んでいって上がっていくじゃないですか。あれ見るの好きです。
山口:それそれ。そういう見たり感じたりして心の傷が癒える感じ、それが癒しじゃないですか。作業に集中するのは気分転換というか。ともあれ、水は癒しにかなり大切な要素かもしれません。
板近:水は確かに癒やされますね。さっき話したフィルターからの落水は、ちょうど水槽の角のところなので二つに見えたり、面白い見え方するんですよね。うちの水槽、置き場所の関係で後ろ側から落水を見ることができて。
山口:けっこう細かい話ですね。
板近:細かいですね(笑)。水って透明なものなのに、そのあり方によりいろんな見え方するので、いろんな気分に対応してくれたりするのかなって。
山口:音もいいですよね。さらさらとした音。私は釣りもやるのですが、山の中に入って渓流特有の空気感や音を感じると「いいな」と思いますよ。
板近:音もいいですよね!
山口:であれば水があれば癒しになりますかね。魚や水草がいなくても。
板近:以前、砂とか水草とか、何も入れずに水槽の立ち上げをしたんですね。
山口:ええ、それで?
板近:バケツで水を注いでいくと、水位に合わせて泡が線になって残るじゃないですか。横一直線に、あがっていく水位に合わせて何段も。
山口:はいはい。
板近:それが残っている状態で、ただ水が入ってるだけの水槽が美しくて。すごく記憶に残っていますね。
山口:なるほど。うちの編集部にもいますね、水槽に水を張った瞬間が一番好きだというスタッフが。
板近:綺麗ですよねあの瞬間。
山口:フィールドで潜るじゃないですか。すると水底に光が当たってゆらゆらして見える。あの感じに近いのかもしれない。晴れた日の透明度の高い水中です。学校のプールとか。
板近:あー。確かに! 私、何もない水槽でも照明つけちゃうんですよね、光と水の関係が綺麗で。あと「水が広い」ってのもいいのかもしれません。
山口:水が広い、とは?
板近:水だけの空間が多い状態というか。
山口:水だけの空間が多い……眼前が水ばかりという状態ですか。水族館の巨大水槽のような。
板近:あとは、水槽内でいわゆる「遊泳スペース」が多い状態というか。そういう時って、水そのものを見ていることが多いのかなと。
山口:水槽に寄って見ている状態ですね。
板近:寄りますね!
山口:なんとなく、わかる気がします。
板近:なかなか今回の話、説明するのが難しいですね(笑)。
山口:うーん、難しいですが、雑談なので(笑)。
板近:さっき光の話を聞いて思ったのですが……水を見てる時って、光を見ているのかもしれませんね。
山口:となると、水を張った水槽にライトをつけさえすれば癒される、ということになりますよね。それって、アクアリストとしてどうなんですかね。
板近:(笑)
山口:すごく削ぎ落としていませんか。いろいろなものを。
板近:確かに削ぎ落としていますね。でも魚や水草に癒やされることも多いので(笑)。
山口:たしかに水の流れるオーナメントのあるバーなどに行くと、気分は落ち着きはしますが。
板近:やはり水は偉大なんですね。浮力や流れも、とても大事なんでしょうね。あの無重力感というか。
山口:魚や水草がいないと、かえって落ち着くかもしれない。私の場合、魚や水草がいると、どうしても仕事を思い出してしまうから……まあ、これは冗談ですが(笑)。
板近:(笑)
山口:無重力感は大切かもなぁ……羊水に浮かぶ感じは、五感に刷り込まれている気がしますし。
板近:人も元々水中にいたということですね。
魚や水草がくれるもの
山口:本当に祖先を辿れば生命は水の中で「発生」したのでしょうが――――水が大切なファクターであることは確認したとして。実際、魚や水草はどんな影響を心理的にもたらすと思いますか。
板近:やっぱり生きているからこそ……みたいなものがある気がするんですよね。
山口:うんうん。
板近:例えば単純に「可愛い」とかもありますし。見た目だけじゃなく行動とか。あとは美しさとかもありますよね。
山口:以前、ジェックス社の癒しにまつわるレポートを編集担当したことがあるのですが。(2019年2月号掲載)魚が泳ぐ水槽を見ていると前頭葉からデルタ波が出るそうなんです。つまり、リラックスしている。リラックスと癒しはほとんど同義といえるでしょう。ここらへんの研究結果はジェックス社のサイトでも見ることができるはずです。
板近:「見ながら」ボーッとしていると、気分が落ちついたりするものってありますよね。
山口:そうそう、そのボーッとすることが難しいじゃないですか。最低でもアクアリストと呼ばれる人にとって、水槽または魚は、ボーッとすることができるスイッチになるんじゃないですか。
板近:水槽には、ボーッと眺めるのに最適なものがたくさんあるのかもしれませんね。
山口:視覚的に要素が揃っている気がしますよね。
板近:視覚的に揃ってますね。しかも多種多様な気がします。私は、あまりボーッとするのが得意ではないので……。
山口:え、そうなんですか?
板近:はい、あんまり得意じゃないです。
山口:水槽を見てボーッとすることはない?
板近:あ、いえいえ! 水槽を見てボーッとはできるんですが、単純にボーッとするという行為自体を上手にできないので、水槽には助けられているなぁと。
山口:そういうことですか。そうなんですよね、意識的にボーッとするのって、案外難しい。
板近:その点水槽は、いろんな「ボーッと眺められる要素」があるから、ボーッとしやすいですよね。ショップさんとか行くと真剣に見ちゃいますが(笑)。どの魚を買おうとか。
山口:ショップは、まあ戦いの場みたいな面もありますからね、ガチな魚好きには。視覚的に要素が揃っている……という話がありましたけれど、一体なんでしょうかね、具体的には。魚の動きとか?
板近:動きとか、顔とかいろいろある気がしますね。泳いでいる姿とかもいいですし、じっとしているときもいい。スパイニィイールとか「なに考えてるんだろ……」みたいなシーンで癒やされたり。
山口:わかります。水草のたなびく様子なんてどうでしょう?
板近:水草がたなびく姿もいいですよね。あと、葉に光が反射している姿なんかもよくないですか?
山口:そこそこ。光と水草って、本当に脳をダイレクトに洗ってくれるというか。そんな感覚あります。リシアの気泡はきれいだけれど、光の反射なんですよね、きれいに見せているのは。明るい緑がキラキラしているって、とても素晴らしい光景と思うことがあります。素晴らしいという言葉も陳腐ですが。
板近:ほんと素晴らしいですよね。また水草自体が光をエネルギーに変えているところもよいのかもしれませんね。光を浴びている水草は、生き生きとしている気がして。
山口:ああ、そっちにいきましたか。私もそこはお話ししたいと思っていました。
板近:なんというか、魚や水草ってただ綺麗なだけじゃないですよね。
山口:そうなんですよね。というのは、水槽に小さな自然が出来上がっている。そこに感動するわけで。魚がいて、水草があって、見えない微生物がいて、それぞれに綿密につながっていて、一つの世界を作っている。
板近:ほんと一つの世界ですね。水槽で区切られているのに、すごく空間を感じたりします。
山口:空間を感じるというのも面白い表現ですね。
板近:なんかほんとに、山口さんの言う通り、そこがひとつの世界なんでしょうね。
山口:昔からパーフェクトアクアリウム(水槽内で全てのサイクルが完結する、完全水槽)という概念があって、それを手に入れることに執心していましたからね。多くのアクアリストにとって絶対的な価値観なんだと思う。
板近:そこ(水槽内)が世界であることは、私も昔から本当に感じてきました。パーフェクトアクアリウムは、ひとつの夢なんでしょうね。
山口:それは水換え不要という一面的なものではなくて、「世界を手に入れる」という意味で。
板近:パーフェクトアクアリウムに求めるものって、水換え不要とはまた違った感覚ですよね。
山口:結局、その維持は難しくて、水換えするのが一番、と帰結したりするのですが(笑)。でも、庭で放っておいた池に金魚が何年も生きている、それもパーフェクトですよね。
板近:パーフェクトですね。気候なども含めパーフェクトになっているわけですもんね。水換えするのって、ある意味楽な手段ですよね。
山口:楽ですね。とくにある程度魚や水草をコントロールしたいと思うと、パーフェクトアクアリウムは難しいんじゃないかな。魚はたくさん飼いたくなるし。たくさん飼えば水が汚れるし。
板近:ですね。
山口:それで、世界の話をしていますけれど、私の実体験をお話しすると……水槽に多種多様な魚がいるって、けっこうすごいことだと思いませんか?
板近:すごいことですね! 生息地の違う魚とか普通に一緒に泳いでますもんね。
山口:たとえば動物園なんかだとキリンとシマウマは一緒に飼われていることもあるけれど、案外、種類が乏しいんですよね、一つ一つの飼育設備で見ると。加えて水槽では、それぞれの魚が役割を持っていたりするじゃないですか。
板近:魚って「複数種を一緒に飼育する」のが一般的というか、普及していますが、他の生き物の飼育では意外とないことなのかもしれませんね。役割というと、苔取り役とかまさにそうですよね。
山口:そうそう。そういう役割を魚が持っていることに、ある日とても感銘を受けたことがあって。掃除屋さんもいれば、主役もいる。エビもいればナマズもいると。
板近:同じ水槽の中に。
山口:それが何というか、世界の縮図に見えたというか。「自分も生きている意味があるんだな」と。こういうと重たい話と感じるかもしれないけれど……その時に特段、落ち込んでいたわけでもないんですよ。
板近:シンプルにそう思ったという感じですかね。
山口:そうそう。いわゆる気付きというのかな。ずどんと突き刺さったというか、染み渡ったというか。すみません、今日は私ばかりお話ししてしまって。
板近:いえいえ! 私もいろいろお話させてもらっている気がします! むしろ素敵なお話を聞かせてくださり、ありがとうございます。
山口:いえいえ。
板近:でもこうして振り返っていくと、アクアリウムは癒やし以上のものをくれる存在なのですね。
山口:人によるコントロールがあるにせよ小さい空間で魚が折り合って生きているんだから、人だって争わずに生きていいけるんじゃないかと思ったりしますよ。それは理想論にせよ。
板近:なるほどですね。
山口:たとえば、戦国時代の武将がアクアリウムをやっていたら歴史も変わったかも、など考えたりもします。
板近:私は、超個人的な話になっちゃうのですが、メンテナンスを自分でやるという点に、とてもいろいろなものをもらっている気がします。
山口:……板近さんは、作業がかなり大切なんですね。
板近:はい、なんていうか、自分がしっかりしてないと水槽の状態も悪くなっちゃうじゃないですか。落ち着いてやらないと水草の植え付けとかもうまくできないし。そういう経験から、気持ちを落ち着ける術を教えてもらっている気がするんですね。
山口:そこは私にない感覚なので、とても興味深いです。
板近:ちゃんと気持ちや状況を落ち着けてから「いざ、作業!」みたいな感じですかね。私、焦りやすいので。でも好きなものをちゃんと扱うために「落ち着いて作業できる自分になろう」と思えたのは、人生にとってかなり大きかったです。
山口:あれかな、熱くならないで集中するということですか。
板近:そんな感じです!
山口:その気持ちが、アクアリウムで得られた貴重なものなんですね。
板近:そうですね、アクアリウムと、あと園芸ですね。この二つをやっていたからこそ、そういう気持ちを育てられたのだと思います。
山口:なるほど。それは板近さんにとって癒しになっていると。
板近:結果癒やしにつながってるんでしょうね。落ち着いて扱えるようになったからこそ、癒やしも増えた的な。
山口:ああ、ステップなんですね。落ち着いた心でアクアリウムに取り組む結果として、アクアリウムがうまくいって癒されることもできる。そういう感じですか。
板近:そうですね、ステップですね。なんだかようやく綺麗に話がつながりました(笑)。ありがとうございます。
山口:本日の初めから板近さんが作業のことばかりを話していたときは???と思って聞いていたのですが、これでやっと理解ができました。
板近:完全に私が上手く説明できていませんでした!
山口:雑談というのはそんなものではないでしょうかね。
板近:雑談のよさかもですね。
山口:そうそう初めの話で言えば。「イヌは元気をもらえてアクアリウムはそれとは違う」という話をしたじゃないですか。
板近:はい。
山口:これ、ネガティブに捉えられるとよくないので補足をしておくと。私の場合、魚を見ると気分が落ち着くんですよね。それでとても冷静になれる。イヌは心が温かくなるけれど。魚はそうじゃないんです。
板近:なるほどですね、山口さんの中で感じ方が違うのですね。
山口:魚が劣っているという話ではなく。ぜんぜん別物であって、共に良さがあるという話です。
板近:イヌと魚が違う生き物だからこそ。
山口:体温と触れ合いは大きいと思うなあ。
板近:それぞれ特徴があるからこそ、そこに生まれるものがあるんでしょうね。
山口:魚はとても静かな心持ちになれるんですね。それは他では得難い感覚で私は好きなんです。
板近:全部同じだったら、なんでもよくなっちゃいますもんね。
山口:そうそう。イヌの話ばかりして恐縮ですが。最近、イヌが亡くなって、ついつい思い出してしまうので。
板近:そうだったのですね。それはとても悲しいです。安らかに眠ってくれることを願います。
山口:いずれ私もあちらに行きますし。その時を楽しみにしています。
板近:間違いなくその時は会えると思います! 私もその時は、昔一緒に暮らしていたイヌと再会したいです。
山口:今は本当それが楽しみで。2頭いたのですが、人懐っこかったから。死後の世界があるかないかは置いておいて、そう思って生活しているということです。
板近:そう思いたいですね。