みなさんこんにちは。

アクアライフWEB編集部です。

 

本日のアクアの雑談のお題は、月刊アクアライフ過去編。

1996年に編集部入りし、2000年から2020年まで編集長を務めた山口が、90年代を軸にいろいろと振り返ります。

一番古い話題では、80年代の表紙に関するエピソードも!

当時のアクアライフを読んでいた方も、そうでないかたもどうぞご覧ください!

山口 正吾山口 正吾

なるべく客観的にと思いましたが。自分語りが多いかも。すみません。

板近 代板近 代

子どものころの自分に、今日という日が来ることを伝えたくなるような回でした。

アクアの雑談

アクアの雑談は、その名の通りアクアリウムに関する「雑談」をお届けする連載です。お題は回ごとにいろいろ! 雑談いたしますのは、月刊アクアライフ前編集長の山口 正吾(やまぐち しょうご)と、アクアライフWEB編集部の板近 代(いたちか しろ)。雑談ならではのお話を、どうぞお楽しみください。

アクアの雑談全記事一覧はこちら

今日のお題は、月刊アクアライフ振り返り!

板近:今日のお題はどうしましょうか。

山口:何かありますか? 前回アクアプランツについて語らせてもらったので、板近さんのお好きなお題でどうぞ。

板近:今、個人的には前回聞かせていただいたような、過去に遡った話が熱いのですが。

山口:そうですか。では、今日は何を振り返りましょう。

板近:インターネットが普及する前のアクアリウムの話なんてどうでしょう。情報収集の仕方など、いろいろ違ったかと思いますし。

山口:普及前というと、いつ頃の話がいいですかね。ちょっと広すぎる気も。

板近:たしかにネット普及前というと、江戸時代とかも入っちゃいますもんね。アクアリウムの歴史ってなんだかんだ長いですし。

山口:ええ。では身近なところで、90年代はどうでしょう。今を「ネットが普及している世の中」とすれば、そこにつながる重要な時代でもあると思いますし。

板近:いいですね。90年代であれば、私も体験しているので思い返せると思います。

山口:私の場合、96年に会社(エムピージェー/月刊アクアライフ編集部)に入っているので、その頃からの話が多くなってしまうと思いますが……。

板近:あ! それ聞きたいです! ころころ変わって申し訳ないのですが、今日は月刊アクアライフ振り返りということでどうでしょう。90年代全般も捨てがたいですが、それはまた別の機会にして……今回は雑誌メインの話ということでもよいですか。

山口:わかりました。2度にわたって自分の携わった雑誌の話で申し訳ない気もしますが、板近さんのご希望とあれば……。

板近:いつもすいません。

山口:いえいえ。まあ、昔話を懐かしんでいるだけ……と思われないように気をつけながらお話しします(笑)。

お小遣いと月刊アクアライフ

板近:ではまずここで改めて、山口さんの月刊アクアライフ編集部における経歴をお願いいたします。

山口:はい。入社して、月刊アクアライフ編集部に入ったのは1996年。その後2000〜2020年まで編集長をやって、今でも編集に携わっています。とはいえ、今は出版部全体の取りまとめの仕事が多いかな。他に書籍の編集など。

板近:ありがとうございます。対して私はこのブログを中心としたWEB編集部で、月刊アクアライフをはじめとする雑誌の編集には基本的にノータッチです。発売に先行して見るのは、関わった記事のチェックくらいで、ほとんどの記事を発売後に読んでいます。

山口:そうですね。このあたりの関係性は、毎度お伝えしていますが、説明しておかないとややこしいと思うので。

板近:はい。アクアの雑談をいつも読んでくれている方には「何度も聞いたよ」という話だと思いますが、ご容赦ください。

山口:ではでは本題を……90年代の板近さんにとって、月刊アクアライフはどんな雑誌でした? 子ども時代ですよね。

板近:そうですね。前にも話しましたが、過去を振り返ると買うか買わないかですごく悩んだ記憶があるんですね。

山口:うちに限らず趣味の雑誌は漫画誌や週刊誌とは価格帯が違いますもんね。

板近:ええ。いざ、自分で買おうとなると、月刊アクアライフを買うお金で、魚が買えるから悩んじゃうんです。ほしいという気持ちが、どちらも熱帯魚由来なので余計に悩むんでしょうね。その年頃のお財布事情もありますし。

山口:うん、そこはけっこう悩ましいと思います。

板近:毎号買うようになった時は「ずいぶんと大人になったなぁ」と、しみじみ思ったものです。

山口:月刊アクアライフで自分の成長を感じたと(笑)。

板近:はい。それで、やっぱりそのことを思い出すとお礼が伝えたく。

山口:? お礼と言いますと?

板近:月刊アクアライフを作り続けてくれてありがとうございます。今の自分は近い距離でそれが言えるのが、とても嬉しいです。

山口:面と向かってそう言われるとなんだかムズムズしますが、ありがとうございます(笑)。

板近:当時は当然ネットで情報収集をすることはありませんでしたから、本と、お店で教えてもらうことが全てでした。

山口:そういう時代であったと思います。

板近:お店でも、何時間も水槽の前でねばって、いろんな質問をして。でもすごく親切に相手をしてくれて。

山口:将来有望なアクアリストだと思ってもらえたのかもしれませんね。

板近:そうであったなら嬉しいですね。

山口:当時の月刊アクアライフを振り返って、どんな印象が残っていますか?

板近:そうですね、魚の生息地に思いを馳せたり、水槽サイズや金銭的な理由などで手の出ない魚を憧れながら想像したり……。学ぶこともありましたが、想像の世界への入り口、扉、みたいな。そんな存在でもありました。

山口:わかります。それと私は、月刊アクアライフに限らず、雑誌という媒体の発信する情報は、どこか独特な浸透の仕方をすると思うところもあって。

板近:ああ、たしかに。図鑑とも違うところがありますよね。

山口:当時から、たくさんの媒体、コンテンツはありましたが、今のSNSのような、個人的な疑問に誰かがすぐに答えてくれるような環境はなかったから。少しでも興味のある記述を雑誌で見かけたらそれを起点にいろいろ調べたり、想像したり。そういう雑誌起点のアクションがとても楽しかった覚えがありますね。

板近:山口さんは、入社前は読者だったんですよね。

山口:ええ。それこそボロボロになるまで読んでいましたね。板近さんは他に思い出すアクアなエピソードはありますか。

板近:私がよく覚えているのが、酸性、アルカリ性という価値観を身に着けたときに、すごく前に進めた気がしたことです。

山口:アクアリスト感溢れるエピソードですね。

板近:たしかにそうかも……あ、今ふとキーホールシクリッドを思い出しました。子どもの頃に飼っていて、大好きだったなぁ……今でも好きですし。そうした好みの形成にも、アクアライフの影響は大きかった気がしますね。

山口:ちょうど90年代の初めから中頃は「好みの細分化」などと世間でも盛んに言われていましたね。そんな中で、月刊アクアライフの影響を受けてくれた、それは嬉しいことです。

板近:ある種、必然的な流れだったと思います。でもまさか、当時編集していた人とこうして公式でお話しさせてもらう日が来るとは思ってもいませんでしたよ。

山口:(笑)

90年代の熱

山口:さて、板近さんにいろいろ話してもらったので、今度は私の番ですかね。

板近:お願いいたします。今日の主役は山口さんなので。

山口:まあ、昔話なので、思い出しながら…………わからないことはわからないと素直に言いますし、嘘をつかないように気をつけます。

板近:なんだかとても、ワクワクします。

熱帯魚ブームとエリザベサエの日本デビュー

山口:私が入社する前に、アフリカンシクリッド、ディスカス、プレコ、コリドラスなどで大きなブームがあったと聞かされていて。ただ、私が入社した頃は、それらもひと段落ついていたのかな。

板近:90年代を振り返ると、アフリカンシクリッドは今よりもピックアップされていた印象があります。

山口:ええ。それで、私が入社してすぐにアピストグラマのエリザベサエが輸入されて。

板近:エリザベサエはその頃なんですね。

山口:以前から記載が海外の書籍に載っていたりしてマニアには有名な魚であったけれど、当時、入荷はされていないくて。その輸入のきっかけとなった調査隊に当時の編集部の先輩が同行していたりと。

エリザベサエ
エリザベサエが紹介された記事(月刊アクアライフ1997年2月号より)

板近:おお。

山口:つまり、エリザベサエの日本デビューと月刊アクアライフがガッツリとリンクしていたんです。そんな感じで、業界的にも盛り上がっているのは感じたし、編集部内での異様な熱気も感じましたね。

板近:熱帯魚ブーム最前線の熱。

山口:ミウア(アピストグラマの一種)もその調査隊の成果じゃなかったかな。小型美魚、水草の好きな人が同行した調査隊で。そのあたりから南米水草もブレイクしたと記憶しています。トニナなどですね。

板近:トニナは発売したばかりのアクアプランツ最新号(No.18)でも特集されていましたよね。今の話が、そこにつながっていくと考えると…………まさに、アクアリウムに歴史ありですね。

「ああ、こうやって新しいスターフィッシュが生まれるんだな」

山口:それで、私の立場から当時を振り返るならば、ここが中心になるのかなというお題があって。

板近:なんでしょうか。

山口:他誌の話です。

板近:お互いアクア雑誌なわけですもんね。

山口:ええ。たとえばフィッシュマガジン(緑書房)は、伝統的にグッピー、ディスカスなどの改良品種にとても力を入れていて。あとはアジアアロワナなどですね。

板近:当時、月刊アクアライフとフィッシュマガジンは違う方向性であったと。

山口:ええ。その頃の月刊アクアライフは、ワイルドに力を入れていました。それで、フィッシュマガジンは90年代の中頃にはレッドビーシュリンプ、つまり当時のクリスタルビーシュリンプを盛り上げようとけっこうな頻度で特集を組んでいて。

板近:山口さんは月刊アクアライフの編集としてそれを見ていたんですね。

山口:はい。私も当時はワイルドを好んでいましたし、ライバル雑誌のやることだから冷ややかに見ようと努めていたのですが、それでも刺激されましたね。それに、私どもはシュリンプのネットワークをほとんど持っていなかったから、手の打ちようがなかった。

板近:月刊アクアライフにシュリンプのネットワークがない。今からでは想像つかないですね。

山口:かもしれません。それで、その特集を見ながら「うちの方がいい雑誌だぞ」と強がってはいたものの平静ではいられなかったんです。

板近:具体的に言うと、どんな気持ちだったのでしょうか。

山口:ああ、こうやって新しいスターフィッシュが生まれるんだなと。この場合はシュリンプですけれど、そう思った記憶がありますね。

板近:雑誌それぞれ、独自の路線で進んでいたんですね。

山口:フィッシュマガジンにしてもうちにしても、おたがい限られた人員であるし、得手不得手もある。あと、この話にはまだ続きがあって、うちから出しているシュリンプクラブ

板近:エビ専門誌の。

山口:はい。そこで、当時のエビブームの仕掛け人の一人である方と一緒に仕事をすることができまして。

板近:フィッシュマガジンに在籍されていた方ですか。

山口:ええ。その方はフィッシュマガジン、その後に、楽しい熱帯魚(白夜書房)で編集をされていて。その間ずっと編集としてエビと関わっていた方なので私にはない感覚、知識をお持ちであって。シュリンプクラブの制作ではとても助けていただきました。

板近:かつてのライバルが共に。

山口:シュリンプクラブ1号を作ったのはいいけれど、2号の制作ではいろいろと壁にぶち当たっていて。丁度、その時にその方と、あれは偶然というのかな……うまく連絡を取ることができて、2号からお手伝いしていただいたのかな。3号からはもうほとんど中心的に動いていただいて、非常に助かりました。

レッドビーシュリンプ
今も人気の続くレッドビーシュリンプ。その背景にはいろいろなストーリーがあった Photo by MPJ

「楽しい熱帯魚」にまつわる話

板近:今、「楽しい熱帯魚」という名前が出ましたが、なにか思い出などありますか。

山口:ええ。あの雑誌も衝撃でした。90年代中頃になるのかな、創刊は。

板近:月刊アクアライフとはサイズも違いましたよね。

山口:楽しい熱帯魚は中綴じで……B5だったかな。

板近:月刊アクアライフと並べると、けっこう雰囲気が違うんですよね。

山口:ええ。私は「月刊アクアライフが一番」という思いで入社しましたし、その頃はとても血気盛んであったから。

板近:はい。

山口:でも、それもどうも……という空気感が生まれつつもあって。

板近:それが楽しい熱帯魚の存在であったと。

山口:あの頃は、その他にもいくつかのアクアリウム雑誌が誕生しましたけれど、楽しい熱帯魚は新興の中では頭ひとつ抜けていて。いろいろなショップさんにお話をすると「楽しい熱帯魚、評判いいよ!」と聞かされるわけです。

板近:楽しい熱帯魚というのも、いいタイトルですよね。ストレートで。

山口:当時の流行りなのかもしれない。「かわいい小動物」という雑誌もあったから。それで、実際に販売の調査をしてみると限られた書店ではあるものの、月刊アクアライフより楽しい熱帯魚の方が売れている、というデータもあって。ガーンときましたね。

板近:出版社ならではの体験ですね。

山口:それで、楽しい熱帯魚が表紙に「アクアリウムナンバー1雑誌」みたいな文言を入れるようになって。その文言について私から文句を言うこともできないし。

板近:なんだかすごく緊張してきました。

山口:それでもしばらくは「うちの方が本格派だ」などと強がってはいましたが、内面かなりきつい気持ちはあって。絶対に勝たなくては! と思った記憶があります。

板近:……。

山口:まあそれも、2000年代に入ってからの取次の調査で……取次というのは本の問屋さんみたいなところで、同業誌のなかではうちが1番だという確実なデータを得ることができた。

板近:……。

山口:そのこともあって、月刊アクアライフの誌面で「今はうちが一番ですよー」とちらりと書いたところ。

板近:……。

山口:しばらくしたら、楽しい熱帯魚の表紙からは「ナンバー1」の文言が消えました。多分、先方も取次で調べたんでしょうね。

板近:…………。

山口:ほっとしましたね。雑誌を続けるには1番しかない! と思っていたので。

板近:…………。

山口:いや、実際に1番でないと取材がしにくかったりするんですよ……あれ、板近さん大丈夫ですか?

板近:いや、なんか言葉が出てこなくて。

山口:そうですか?

板近:きっと、すごく熱い競争がそこにあったのだなと。そう思っていろいろ想像しようとしたら、想像を超えていたというか。

山口:私もつい語りすぎてしまいました。私の90年代というと、間違いなく楽しい熱帯魚は外せない存在なので。

板近:なんだか、今日話に出た3つの雑誌が私の本棚にあることが嬉しくなりましたよ。あとは……えっと、ちょっと休憩いいですか、頭が回りません。

山口:ええ、休憩しましょう(笑)。

受け継がれてきたカラーがある

板近:休憩ありがとうございました。

山口:ではでは。次は何を話しましょうか。

板近:そうですね「山口さんにとっての月刊アクアライフ」の話などよいですか。今までも思いを語っていただきましたが、もう少し聞かせていただきたく。

山口:……うーん。自分語りばかりしていると思われるかもしれず、ちょっと気が引けてしまうのですが。

板近:大丈夫ですよ(笑)。

山口:もし、変なことを話していたら、バッサリとカットしてください(笑)。やはり私にとって月刊アクアライフは、読者の頃に「ここで働きたい!」と思ったくらい好きな雑誌だったから。

板近:ええ。

山口:先程の話に続いてしまいますが、楽しい熱帯魚に押し込まれていた時も「月刊アクアライフを楽しい熱帯魚に寄せていけばいい」とは思いませんでした。

板近:月刊アクアライフは月刊アクアライフの道を行くと。

山口:好きな雑誌だったから、そのスタイルを崩してまで他誌に勝とうという発想はなかった。だいたい真似したところで勝てないですよね。

板近:なるほどです。

山口:私なりのカラーはあったかもしれないけれど、それは私が入社した時の社長である石津さんやその他の先輩たちが作った流れに沿ったものであって。

板近:受け継がれてきたものがあるわけですね。

山口:もし当時「楽しい熱帯魚と同じように作れ!」と社命があったとしても、それは無理だったろうな。無理というのは、嫌という意味ではなくて私に適性がないから。そこまで器用じゃないですし。

板近:私は、雑誌を見ていて、ここには人の熱が詰まっているのだなと感じることがあって……今まさに、その、内側を聞かせてもらっているのだなと。

山口:裏方さんの熱量が伝わりやすい媒体だと思います、雑誌は。

板近:ええ。言葉だけでなく仕上がりであったり、ページのレイアウトであったり。人を感じる要素は多いです。

山口:どんな雑誌にも、どんな会社にも、どんな人にも、それぞれドラマがあると思うので、私の経験が特別だと思っているわけではないんです。ただ、私の90年代という軸であると、やっぱり仕事のことが中心になるし、そうなると勝った負けたの話が思い出されると(笑)。

板近:まさに、アクアライフと共に歩んだ90年代であったのですね。

各地域の熱帯魚

山口:少し、魚の話をすると、90年代後半にはアジアの魚も熱く盛り上がってきて。以前別の回でもお話しましたが、インド産やミャンマー産の魚、その新顔が輸入されるようになって。

板近:ハナビとか。

ミクロラスボラハナビ
小型美魚であるハナビの入荷は、熱い話題となった Photo by N.Hashimoto

山口:ええ。あの時も盛り上がりましたよ。どういうわけだか、熱帯魚の世界では「他の地域よりも南米の方が上」という意見もありますが、私はそこら辺の感覚が薄くて、ただただ感動した覚えがありますね。

板近:たしかに南米には素晴らしい魚がたくさんいますが、だからといってアジア圏の魚が下なわけではないですよね。

山口:そうですね。地域の特性こそあるにせよ、どちらが上というのはあまりなくて。もちろん、南米はその規模からしたら圧倒的なんだけれど「それはそれ、これはこれ」という感じで。

板近:その地域にしかない魅力もありますよね。

山口:インド産といえばレインボースネークヘッドの登場でスネークヘッドが盛り上がったりしたし、地域を変えて、アフリカにもすごい魚がたくさんいるし。もっと言えばそのエリアの中にもいろいろな川などがあり。

板近:ですね。私の好きなインドグリーンスパイニーイールもアジア産ですし。

山口:ええ。つまり、南米の凄さもある、その他の地域もすごい、ということなんだと思います。

板近:それはアクアライフを読んでいてもすごく伝わってくることですね。

「お前はメダカ担当な」

山口:そうそう、入社してすぐに当時の編集長に「山口はメダカ担当な」と言われまして。ここでいうメダカは、日本のメダカではなく熱帯メダカのことですね。代表的なところだと、グッピー、プラティ、アフィオセミオンなど。

板近:(日本産の)メダカブームが起きるだいぶ前の話ですね。

山口:熱帯魚ショップで見られる日本産のメダカはヒメダカくらいの時代でした。それで、編集長に「これを読め」と何冊か熱帯メダカの本を渡されて。「載っているメダカを全部覚えろ」と言われて。

板近:全部って、すごい数ですよね。熱帯メダカめちゃくちゃいますし。

山口:はい。ただ、当時の私は、なんというか割と大人だったので。

板近:といいますと?

山口:大学を卒業したあと専門学校に2年通ってからの入社だったので、ストレートの新卒より2年は歳を食っていた。それに、その2年の間に家業を手伝っていたりして、わりと世間ズレしていたというか。

板近:いろいろやられていたんですね。

山口:ええ。だから驚いたんです。私が熱帯メダカの名前を覚えたとして、それがどのように雑誌の売り上げに結びつくのか、まずそこが想像できなかった。

板近:それぞれ担当があったのですか。

山口:ナマズは編集長、小型美魚は誰と彼、爬虫類両生類は誰、みたいな割り振りを想定していたみたいで。

板近:で、山口さんは熱帯メダカと。

山口:振り返れば編集長なりの考えもあったような気もします。ともあれ、魚のグループごとに担当を固定するのは奇抜だと思ったし、リスクがあると思った。つまり、編集が担当以外の魚に興味が湧きづらくなるという。

板近:それで覚えたんですか?

山口:もちろん。命令だからできるだけ読んで、覚えて、その流れで卵胎生メダカの特集を担当しました。ですから拒否をしたわけではないのですが、それまでの私の考え方と全く違ったので、本当に不思議だった、そんな思い出があります。

マイナー分野という認識

板近:ふと思ったのですが、今日の話は、アクアリストでない方からすると、ちょっとわからないところがあるかもしれませんね。これは決して悪い意味で言っているわけではないのですが。

山口:わかります。趣味の専門誌の話だから、卵胎生メダカだとか、エリザベサエだとか、一部の人だけが知るキーワードも出てきてしまいますし。

板近:そうですそうです。だからこそ、今日お話を聞いていてあらためて月刊アクアライフは「専門分野の雑誌」なんだなぁって。

山口:ええ。趣味の雑誌ではありますが、専門的であったりマニアックであったりするとは思います。

板近:今でもそういう記事があります。山口さんが読者の頃は、どんな感覚でした。

山口:私が読者の頃は「マニアックだなぁ」と思って読んでいました。そもそも、熱帯魚の雑誌があること自体に驚いていたから。

板近:雑誌があることに驚いたんですね。そこはちょっと私にはない感覚ですね。

山口:少なくとも私が入社当時の編集部員たちは、アクアリウムはマイナーであるという意識を持っていたと思います。

板近:といいますと。

山口:当時の編集長は「月刊アクアライフは同人誌的」というようなことを常々言っていましたし。アクアリウムはマイナー分野、そういう認識であったと思いますよ。

板近:そうなんですか。でも振り返れば、私にとってアクアリウムは最初から大きな存在でしたが、周囲もそうであったかというと違いますね。

山口:そう。当時はまだ熱帯魚はオタク趣味と思われていたところはあると思います。

板近:でもマイナーって悪いことではないですよね。たとえば、趣味全体ではなく、アクアリウムという枠の中にもマイナーな存在があって、そのおかげで選択肢が多くなっていたりしますし。

山口:ちょうど過渡期だったのかもしれない。当時は熱帯魚バブルもあって一般にも浸透していた、一方でオタク趣味という要素も残っていた。

板近:なるほど。

山口:今は当時と変わりましたよね。アニメだってフィギュアだって皆に認められる趣味になったし。どんな分野にせよ、単純に、メジャー、マイナー、またはオタクと分類できるものではないかな。世相が変わったというか。

板近:それはありますね。

山口:個人的には夢中になれた趣味だし、もちろん今も楽しい。アクアリウムは世界の中心だ! というのは大袈裟だけれど、それでも以前と比べれば一般的な趣味になったとは思いますよ。

どの表紙がお好き?

板近:そういえば最近本棚……というか月刊アクアライフを整頓しなおしまして。

山口:バックナンバー含め、けっこう持っていますよね。板近さんは。

板近:まだまだです。それで……公式ブログでこんなこと話すのもあれですが、月刊アクアライフみたいな雑誌って並べてある中から一冊抜くと本棚に戻しにくいじゃないですか。

山口:重さがかかるから。

板近:ええ。そんなこんなで資料にも使うし、個人的に見たりもするしと、仕事机のまわりに月刊アクアライフが散乱していたんです。

山口:(笑)。

板近:で、ちょっと出しすぎちゃって、そろそろ並べなおしたほうがいろいろ探しやすいと思って整頓したんですね。それで、何冊かまとめて手に取る過程で「昔に比べると表紙の雰囲気もだいぶ変わったんだなぁ」と思ったりしまして。

山口:そうですか?

板近:いや、毎号特集も違うし「変わった」という表現がおかしいかもしれないですね。すいません。

山口:いえいえ。今の表紙のデザイナーさんは97-98年くらいからお願いしているので、そこら辺には一つの分岐点があると思います。あと、80年代かな、あの頃の月刊アクアライフにはイラストを使った表紙なども多かったですね。お持ちですかその頃の月刊アクライフは。

板近:リアルタイムで購入したわけではなく、譲ってもらったものなどになりますが、いくつか持っていますね。

山口:であると、それらを見て表紙が変わったと感じられるのは、あるかもしれません。

板近:山口さんが入社したころ、それらの80年代の表紙の影響はあったのでしょうか。

山口:私が編集長になった頃かな。社長である石津さんから80年代の表紙の月刊アクアライフを見せられて「これくらい遊んでみろ!」みたいなことを言われた記憶がありますね。80年代には奇抜な表紙が多かったんです。

板近:月刊アクアライフの表紙好きとしては、聞けて嬉しいエピソードですね。

山口:反面、その石津さんが「でも、これじゃなんの雑誌の表紙だかわからないよな(笑)」みたいなことを言ったりして。

板近:たしかにわかりづらいものもあるかも……。

山口:石津さんに限らず、みんな制作当時は真剣だし追い詰められて仕事をするのだろうけれど、後から見ると「どうだろう?」という仕事もある(笑)。

板近:(笑)

山口:本当になんの雑誌だかわからない表紙もあるので。板近さんがお手持ちのバックナンバーの中で「これは強烈だ!」と感じた80年代の表紙はありますか。

板近:強烈というとパンクな色彩のバタフライフィッシュ(1986年12月号)が思い浮かびますね。

バタフライフィッシュ表紙
1986年12月号表紙

山口:ポップアートというか、ウォーホール風というか。月刊アクアライフに限らず、80年代はこういうデザイン多かった気がするな。

私もいくつか、80年代の表紙からセレクトしてみました(山口)

板近:雑談が終わったら、改めて80年代の表紙を見てみようと思います。

山口:振り返るならば、私個人としては手堅い表紙が多かったかもしれません。入社した当時はもうバブルが崩壊していて、これは不況が長引くぞという空気感が世の中を支配し始めていた。他誌に勝たなくちゃいけない! という気持ちもあるし、反面、外してもいけない……という気持ちもあって。

板近:先にしてもらった、他誌との関係の話にも通じますね。

山口:ええ。とくにうちの会社は月刊誌が一つ(月刊アクアライフ)だけで、大黒柱だから。いま考えると、そうした圧が強かったのかもしれません。

板近:その圧は私では想像しきれません。

山口:そういえば、板近さんは好きな表紙などありますか。

板近:そうですね、うーん、いろいろあってどれから挙げたものかと。さっきのバタフライフィッシュの号も好きですし……。

山口:今日の話題の中心である90年代はどうでしょう。

板近:手元にある号の中からでは……これもまた悩みますが、「12の各論」と題された号(1991年8月号)とかすごく好きですね。魚のイラストに、12の各論という言葉が相まっていい感じで。みんなすごくいい顔してるんですよね。

1991年8月号「12の各論」表紙

山口:あれもいい特集だよなぁ。あの手のコンセプトで、今でも時折特集を組むことがありますね。では今年、2021年の号ではどうでしょう。

板近:やっぱりそこでも悩むんですが、今思い浮かんだのはアピスト特集号ですね。全面写真仕様ではなかったあの号の表紙が、すごくかっこよかった。

2021年4月号「アピストグラマ AtoZ」表紙

山口:いい表紙でしたよね。今の編集長の感性であると思います。

板近:ライター仕事もしている人間がこういうことばっかり言っていてはいけないんですが、あれも「ちょっと言葉が出なかった」ですよ。

山口:今日はだいぶ言葉が出ないようで(笑)。

板近:(笑)。表紙の中にさらに写真が飾られているようで。それと、フォントの入り方や色も好きでしたね。「アピストグラマ A to Z」って絶妙なオレンジで。AQUALIFEロゴとの対比がすごく素敵で。

山口:そうとうお気に入りなのですね。

板近:今、部屋の模様替えをしているのですが、それが終わったら改めてこの号を飾りたいなど考えています。

山口:表紙鑑賞コーナーでも作るんですか?

板近:鑑賞コーナーというと大げさですが、本を正面向けて置ける棚を入手したので、でもあれアクアライフのサイズでも下が半分くらい隠れちゃうから、結局取り出して鑑賞することになるのかな……と、すいません脱線しすぎました。

山口:いえいえ。せっかく熱く語っていただいたので、表紙についての話を続けると、毎号、全然違うテイストの表紙にしているのにも、いろいろな経緯があって。

板近:続けてくれてありがとうございます。

山口:それこそ私が編集長になった頃、2000年かな。その時は私も血気盛んであるし、毎号私が表紙を担当していたこともあったんです。なるべく特集担当の意見を聞きたいと思っていましたが、そうでないときもあった。

板近:そうだったんですね。

山口:でも、次第にアイデアが枯渇してきて。それに表紙のテイストがバラバラの方が、長い期間で見ればいろいろな人の感性に引っかかるかなと思うようになって。

板近:それからは毎号違う人が担当しているのですね。

山口:だいたい特集担当と編集長が相談して作る感じですね。今の編集長もそうしています。表紙の担当が毎号変わる、特集の内容が毎号変わる。だから表紙のテイストもバラバラになる。

板近:たしかにバラエティに富んでいます。

山口:そのやり方は正解ではないのかもしれないけれど、結局はそういうスタイルでここまでやって来れた。いろいろな表紙の作り方はあれど、結果論としてはうちはこれでよかったのかなと。

板近:ほんと、毎回楽しみです。表紙集がほしいくらい。

山口:(笑)

板近:来月号も楽しみにしています。そうそう、アクアライフの外観といえば背表紙もはずせませんよね。アクアライフは一年集めると背表紙で一枚の写真ができる。あれ、80年代の号から入っているんですよね。

山口:昔やっていて、しばらくやめていて、また復活して、今に至るという流れです。あの背表紙、楽しみにしてくれる方も多いみたいで。

挑戦的な特集

板近:以前も話題にさせていただきましたが、月刊アクアライフは挑戦的な特集もありますよね。

山口:以前話題にしたというと、パルダリウム特集のことですかね。

板近:ええ、まさに! アクア雑誌で陸上特集ですから、驚きがありました。

山口:たしかに、アクアライフですもんね。

板近:その、初のパルダリウム特集は山口さんが編集長をされていた時のことですよね。

山口:そうですね。ただこれは2016年まで時代が進んでしまいますが、いいですか。

板近:はい。本日山口さんは「手堅い仕事が多かった」「外してもいけないという気持ちもある」と話されていたじゃないですか。

山口:ええ。

板近:それで、こうした挑戦はどういうあり方だったのかなと。手堅いとはまた違う方向性の特集であったように思いまして。

山口:なるほど、90年代の私からつながるエピソードとして。

板近:はい。少々強引な展開で申し訳ないですが、気になってしまって。

山口:大丈夫です、事実つながっていますから(笑)。まあ、パルダリウム特集のころになると編集長をやって15-16年が経っていますし、なんというか、私にもこなれた感じであったので。

板近:ええ。

山口:いろいろ経験してきて、ここまでの外し方なら許容されるという目論見もあった。それに月刊誌をとりまく状況も変わったから。

板近:状況と言いますと?

山口:2016年には楽しい熱帯魚もフィッシュマガジンも休刊していたので、どこか尖った部分をうちが担って新しい流れを作らなくては、という気持ちもあったんです。

板近:そういえば、その頃にはもうその2誌が休刊していたんですね。

山口:ええ。それは先にお話ししたフィッシュマガジンにおけるシュリンプのようなうちの不得意分野を補ってくれる存在がなくなったとも言える状況で。楽しい熱帯魚でいえば、ビギナー層の開拓ですね。

板近:今日前半の話を聞いた上だと、余計に切なさを感じますね。

山口:切ないというと悲壮感がありますが、それはあまりなくて。雑誌としての存在感も示したかったし、面白そうだからやってみようという気持ちが強かったかな。

アクアライフで〇〇が見たい!

板近:振り返ると、月刊アクアライフに登場した魚や水草ってとんでもない量ですよね。

山口:創刊(1979年)から40年以上経ちますからね。

板近:きっと、読者さんそれぞれ、たくさんの楽しみ方があったのでしょうね。

山口:板近さんはどうでした。

板近:たとえば私だと、好きな魚が登場したときにテンションが上がった思い出とか。

山口:そこ、ちょっと詳しくお聞きしたいですね。

板近:わかりました。なんていうか、アクアライフには、毎月「来い! 来い!」みたいな気持ちもあって。

山口:「来い!」ですか。

板近:はい。「好きな魚の記事来い! 来い!」みたいな。それはやはり過去の記事でテンションが上がったから思うことでもあると思うんです。あとは「なんだこの魚は!」みたいな予期せぬ衝撃を期待しているところもありますね。

山口:そういう風に期待されるような雑誌でありたいものです。それに、実際に「〇〇を特集してほしい」など、リクエストをもらうこともありますよ。

板近:やはりあるんですね。

山口:ええ。なるべくそういう意見は大切にしたいと思っていますので、お気軽にメールをいただければ。

板近:あ! ではでは、この雑談公開時にこのあたりにメアドを載せておきましょうか。

月刊アクアライフ編集部メールアドレス

al@mpj-aqualife.co.jp

山口:お願いします。今記載してもらったメールアドレスに直接連絡いただいても大丈夫ですし、エムピージェーのサイトのアンケートフォーム(プレゼント応募フォーム)から送っていただいても大丈夫ですので。

板近:一緒にお仕事させてもらう前に一度でも送っておけばよかったなぁと思います。さすがに「板近です」とは送れないので。

山口:(笑)。お便りは嬉しいものですよ。

板近:お便りとは違いますが、ツイッターでブログの更新のお知らせをしたときなどに、リプライや引用RTで一言頂いたりするのも、とても嬉しいですね。

山口:ええ。あれも嬉しいですね。

板近:コメントくれた方、本当にありがとうございます。

山口:ありがとうございます。そういえば、アクアライフは不思議と昔から好意的なご意見をいただくことが多い雑誌であって。

板近:たしかにブログに対しても嬉しい意見をいただくことが多いですね。

山口:ええ、直接いただくこともあれば、間接的、たとえば、某掲示板の全盛時も、ネガな書き込みはあまりなかったように記憶しています。他誌と比べての話ですが。

板近:そうなんですね。

山口:詳細は語れませんが、以前、外部の人にもそれを指摘されたことがありますよ。某掲示板にあまり悪口が見当たらないのは珍しいと。

板近:嬉しい指摘ですね。

山口:嬉しいのもあるし、ほっとしたのもある(笑)。もちろん厳しい意見をいただくこともありますが、これからもよい感想をたくさんいただけるようがんばっていきたいものです。雑誌も、このブログも。

板近:そうですね。私もWEB編集部としてそうあれるよう、がんばります。

山口:さて……そんなところで今日はどうでしょう。なんだか前回に引き続き私の話続きなので、そろそろ本当に申し訳なくなってきて。

板近:いえいえ。今回も私では語れないお題なので。それに、なんだかんだ表紙について語らせてもらうなどしましたし。

山口:次回はぜひ板近さんメインのお題を(笑)。

板近:(笑)

アクアの雑談